お正月の感傷

帰省しなくても、ちゃんとした年末年始を過ごそうと思っていた。今のところ、不調のせいであまりうまくいっていない。

出かけた歳末の大型スーパーは帰省先とさして変わらない様子と品揃えだった。なんだか安心した。でも私はここに一人でいる。お肉もお魚も複数人分の量ばかりで、賑やかな品物は、私のためのものではないとわかった。
向こうが見えるように酢蓮、跳ねるように海老、ええことがあるようによろ昆布、とあれこれ言って満遍なくおせちを食べさせる母や祖母がなんとなく思い出された。実家と同じように、でも手抜きすることにして日本酒と小さめパックのおせちセットを買ってみる。追加で好きなおかずだけ支度した。

いつもは大晦日のお昼に神棚さんに祝詞をあげ、おせちとお供えのお酒をいただいて「年取り」をする。父方の家の習慣らしい。体調が悪くてお昼には間に合わず、お夕飯に少しお正月のおかずとお蕎麦をいただくことにした。どこへともなく、遥拝をしてみた。
元旦は早起きして、お雑煮、おせちにお供えのお酒。習慣に従うなら、神棚さんにお供えした丸餅と葉付きみかんを下げてお雑煮と食後の甘いものにする。どちらも省いてお雑煮だけ。丸餅を見つけて買ってきたものだ。お供えする神棚さんはないからお守り出そうか、いやもうお日様でいいだろう東を向こうそれから神宮の西、と遥拝した。
おせちにお箸をつけて、気づいた。どれも二切ずつ入っている。
つま先と壁紙を見ながらたベた。すぐにおなか一杯になった。

夜に、お湯をわかしながら思う。私はお正月という儀式をしたかっただけなのかもしれない。それで安心したかったのかもしれない。私の過ごした今年のお正月は、あの人や、たくさんの人が経験しているお正月なんだろうか。私は少し出遅れただけなんだろうな。
まだあと二日ある。